
鍼と灸でツボを刺激し、心身のさまざまな不調を改善する「鍼灸(しんきゅう)」。2,000年以上の長い歴史があり、日本では奈良時代から続く東洋医学のひとつです。一部報道では、今春開催されるWHO(世界保健機関)の総会で、鍼灸が伝統医療として認定されるとか。世界からの注目度が一層高まることが期待されています。
ともあれ、効果の良し悪しは、鍼灸師の腕に左右されるといっても過言ではありません。そこで今回、10年間でのべ5万人以上の症例経験を持ち、武蔵小山駅近くのマンションで「梅沢鍼灸院」を営む、梅沢拓(うめざわ・たく)さんを取材。“嫌な仕事はしない”をモットーにしつつ、経営が軌道に乗るまでの苦労や、フリーランスを満喫していると語る現在までの話を聞きました。
資金繰りが苦しく廃業を考えたことも
――梅沢さんは、鍼灸の専門学校を卒業後、病院や接骨院、鍼灸院で経験を積んで、2013年に開業されたとか。開業するまでに何年ほどかかったのでしょうか?
7年ほどですね。そこまで意気込んで独立したわけではないのですが、知り合いの先生が経営していた鍼灸院が空き家になっているということで。タイミングが良かったですし、武蔵小山は地元なんです。
――開業資金はどのように捻出されたのでしょうか?
親からの借金と、品川区独自の開業支援の融資を半々で受けました。このエリアは、武蔵小山駅前再開発エリアに指定されていて、本来なら7年で返済する区の開業支援の融資を3年で返してほしいと言われて。しっかり返しましたが、ハードルが高いものでしたね。
――それだけ売り上げが好調だったのですね。
いや、正直厳しいですよ。今でもそうですが、特に2年目くらいは資金繰りが大変で、辞めようかなと思っていました。
――それは、どうやって持ち直したのですか?
一度、親と家族会議をして、辞めようと思っているって伝えたんです。そうしたら、もうちょっとがんばれと資金援助してくれて、何とか持ちこたえました。自分でも不思議ですが、その翌月から患者さんが何人か継続して来ていただけたことで、好転してきたんです。本当に運というか、首の皮一枚つながりました。
――いまや地域で人気の梅沢鍼灸院ですが、閉院の危機もあったのですね。ちなみに、売り上げはどれくらい変化しましたか?
具体的な額面はちょっと……。でも、1年目と4年目を比べると、約4倍くらいですね。年々順調に上がってはいますが、最初が最初ですから。
――実際のところ、初診料1,000円、施術料4,000円と料金も割安ですよね。
そうですね。鍼灸は継続して通うと効果が上がると思うので、無理なく通える料金を心がけています。ただ、初回の施術で結果を出さないと満足していただけないので、問診にはしっかりパワーをかけていますね。
鍼灸師は「話を聞くことが仕事」
――鍼灸のポイントが問診とは、ちょっと意外です。
問診で約8割の病気はわかると言われているくらいですからね。僕は、話を聞くことが鍼灸師の仕事だと思っています。なので、問診では不調の原因を探るべく、生活習慣や食生活など、身体の不調にまつわることを聞くんです。
腰痛だからといって、腰に鍼を打てばいいかというとそうではありません。何が原因で腰が痛いのかをじっくり聞かなければ、鍼を打つ場所も定まらないのです。あと、当院では顔のむくみや肌荒れなどの症状で美容鍼も実施していますが、顔だけではなく脚や腕、場合によっては全身に打つこともあります。
――なるほど。不調部分に打てばいいわけではないのですね。ちなみに、原因が分からないこともあるのでしょうか?
それはたくさんあります。その場合は、しつこく問診をすることも。ただ、問診で答えてくれない患者さんの場合は、効果を出そうにも難しいです。
――そんな時は、どうされているのでしょうか?
「すみません、うちでは診れません」とお断りすることもあります。
――バッサリ!(笑)
もう、どうしようもないので。無理に、「分かりました。じゃあちょっとやってみましょう」と言ったところで効果が出ないこともありますし。それで、「こんなもんか」と思われても嫌ですので、躊躇せずにお断りしています。
――その割り切り方は、とてもまっとうだと思う反面、特に個人事業主だとなかなか勇気をもって断れないことが多いと思うのですが。
そもそも、患者さん全員に絶対に満足してもらおうとは思っていないですから。フリーランスだと、確かに不安ですけど、気に入って来てくださる人にも迷惑がかかります。あと、イライラして仕事をしていても、患者さんに気を使わせますし、痛い鍼になってしまうので、それは避けたいですね。
フリーランスだからこそ嫌な仕事はしないに限る
――ブレない姿勢をお持ちだからこそ、きっとリピーターが絶えないんですね。ただ、「嫌な仕事でもあるだけありがたい」と思っているフリーランスも少なくないかと。
僕も、独立する前は当然ながら、どんなことでもやれと言われればやりましたよ。でも、フリーになって、お金をもらっているからといって、嫌だと思う仕事を引き受ける理由はまったくないと思いますから。
もし前払いで施術料をもらったとしても、問診でダメだと思ったり、施術中に注文が多い患者さんがいたりしたら、お金を返して帰ってもらいますね。他に治療院はたくさんありますし、ここじゃなくてもその方に合う治療院はあると思いますので。
――目の前の患者さんと真摯に向き合っているからこそ、無理なものは無理だと。
はい。ときには断ることも誠意ですし、自分の判断で断れることこそ、フリーランスの良さだと思います。僕自身、納得できないことはしたくない性分なので、本当にやりたかった鍼に集中して仕事ができる今の状況にはとても満足しています。
でも、同時に患者さんが良くなることがすべてだと思っています。患者さんが良くならなきゃ、鍼灸師をしている意味がないですからね。来た時と同じ状態では帰さない、そこが目標です。だからこそ、自己研鑽は怠らないようにしています。たとえば、鍼灸師の学会には毎回参加していますし、日頃の生活習慣にまつわるアドバイスもできるように、勉強にも励んでいます。
鍼灸院は個人からチェーンへ。とはいえ腕がすべて
――これから、ますます注目されていきそうな鍼灸ですが、今後をどのように展望されていますか?
うーん……。正直最近思うのは、この仕事はもう個人でやる時代じゃないかも、ということですね。
――と言いますと?
チェーン店が安い金額で、進出しているからです。そうなると、やっぱり個人事業主は厳しいですよね。個人だと資金がなくなればアウトですが、チェーン店だと安定しているので、そちらを選ぶ鍼灸師が多いかもしれません。いまも年間5000人くらいが鍼灸師の免許を取得していますが、10年後まで続けている人は1割ほど。個人で開業しても、結局食べていけなければ辞めざるを得ないので。
――なかなかシビアですね。
僕もできれば50歳くらいで引退したいです(笑)。
――早いですね! その後は何をするのでしょうか?
経営にまわって後進を育てたいとは思います。やはり経営形態がどうであれ、施術後に変化がなければだめだと思います。僕がここまでやってこられたのも、お世話になった先生たちの存在があったからこそ。ですから、下の世代を育てていくことが恩返しだと感じています。ただし、やる気のある若手に限るということで。
――ちなみに、直近の目標は?
当院には3台のベッドがあるのですが、これらをフルで使いたいですね。正確に言うと、1時間に2台、ちゃんと回転できるようになりたいです。鍼灸院は時間で料金を設定するところも多いのですが、うちは僕一人ですし、患者さんによっても症状もさまざまなので、時間の設定もバラバラになってしまいがちなんです。
だから、そのあたりはうまく調整できるようにしたいなと。そのためにも、やはり目の前の患者さんに効果を感じてもらって、足しげく通ってもらうことが大切です。そのためにも、研鑽を重ねていきたいですね。