本や雑誌の文章、ウェブの記事など、世の中は膨大な文字情報であふれています。誤字脱字はもとより、固有名詞の間違い、誤解を招く情報は読者の信頼を裏切ることになります。こうしたミスは避けたい反面、たった一人で誤りなく完璧な内容に仕上げるのは至難の業です。
そこで、頼りになるのが内容の品質をチェックしてくれる「校正・校閲者」の存在。作家やライターが書いた文章の意図や表現をくみ取りながら誤りを修正し、ときには内容にも踏み込んで鋭く指摘する“言葉のプロ”です。
通常、校正・校閲者は出版社や新聞社、同業者が集う会社に勤務しているケースが多数派ですが、フリーランスとして仕事を請け負っている人もいます。石田知之さんは、個人で校正・校閲の仕事に携わる一人。なぜ校正・校閲者になろうと思ったのか、気になるギャランティーについても、根掘り葉掘り教えてもらいました。
独学でコーディングを習得、佐川急便系列の会社からリクルート系列の会社へ転職
――石田さんは、現在雑誌「ケトル」やウェブの 「ダ・ヴィンチニュース」といったメジャーな媒体をはじめ、さまざまなメディアで配信される記事 の校正や校閲を行っていらっしゃいます。でも、社会人のスタートは“文章”とはあまり関係ないお仕事だったそうですね。
そうなんです。社会人として働きはじめた20歳頃は、佐川急便系列の“荷物を運ばない”夜勤アルバイトでした。伝票に書かれた「行き先・運賃」などの情報をシステムに入力していく仕事です。もともとチームワークが苦手で、一人で完結する作業が好きだったから、性に合っていたんですよね。少しお金がたまると辞めて、なくなるとまた働く、みたいな気ままな生活を送っていました。
――最初の転機はいつ訪れたのでしょうか?
28歳くらいのときですね。当時、趣味でウェブサイトを作っていて、独学でコーディングの技術を学びました。ウェブページを作成するための言語「HTML」を読んだり、書いたりできるようになり、仕事に生かせないかなと思っていたんです。
そんなとき、リクルートグループの会社 「リクルートメディアコミュニケーションズ(現リクルートコミュニケーションズ)」がHTMLを読めるバイトの募集をしていたので、思い切って応募。入社後は、外部制作者が記述したHTMLが問題なくリクルートのシステムに反映 されるかどうかチェックする仕事に就きました。簡単にいえば、“HTMLの校正”ですね。
アルバイトの更新打ち切り……からのR25編集長のヘッドハンティング
――「HTML」から「日本語」の校正・校閲に携わることになったのはなぜでしょうか?
入社してから半年ほどたった2004年1月に、フリーペーパー「R25」の立ち上げの準備がスタート。それにともなって、ウェブの業務に加えて「R25」の印刷や進行を管理する業務を兼務することになりました。印刷スケジュールの把握や台割(媒体のページ構成を記した表)の管理、出稿されたゲラ(テスト刷り) の整理など、仕事内容は多岐にわたっていました。
その仕事は朝と夜が忙しくて、昼間は意外と時間に余裕があったので、手元に集まった原稿やゲラを読んでいたんです。それで、別に頼まれたわけじゃなかったんですけど、変だなと思う箇所があれば、編集者に「ここ変ですよ」と勝手に伝えるように。いつしか「R25のこの企画は一回石田が読むフローにしよう」とタスク化されていました。
――気づきを伝えていたことが評価されたのですね。本格的に、校正・校閲を仕事にしようと決意されたのには、何かきっかけがあったのでしょうか?
アルバイトの契約が更新されなかったことですね。僕は当時、R25編集部に常駐していたのですが、会社の意向でいわゆるクビ。転職も考えなくてはと思って自分がしてきた仕事のことを振り返ってみると、「どうやら校正・校閲に関わることもやっていたらしいぞ」と、そのとき気がついたんです。それなら真剣に校正・校閲者を目指してみようかなと思いました。
ちょうどR25編集長 の藤井大輔さんに「次の仕事 、どうするの?」と聞かれて、「校正・校閲者になろうと思うので、一人前になったあかつきには、またR25に呼んでください」みたいなことを話したら、「そのままR25にいなよ! 1冊全部任せるから、よろしく」っていわれて(笑)。それからすぐに個人事業主として開業して、R25編集部で経験を積みました。
書き手の伝えたいことを尊重しながら品質を守る
――期待値以上の仕事をしてきたからこそ、フリーランスとしての道を拓くことができたんですね。その後、校正・校閲の技術はどのようにして学ばれたのでしょうか?
日本エディタースクールの教本やほかの校正者さんが書いた本を読みました。また、R25の編集者や外部校正者さんが原稿に入れる赤字なども参考にしましたね。編集会議にも出ていたのでいろいろなことを教えてもらいました。
――そもそもの話で恐縮ですが、「校正」と「校閲」はどのように区別されるのでしょうか?
まず、本来「校正」とはあくまで原稿が神様で、原稿と印刷されて出てきたものが、ぴったり合っているかどうかの確認です。それ以外のたとえば、日本語や事実関係の誤り、不備な点などを 指摘することは、「校閲」に含まれます。ただ一般的には、日本語の誤りを指摘するのが「校正」、それ以外が「校閲」というふうにいわれます。
――では、具体的に校正・校閲の仕事はどのような流れで進めていらっしゃいますか?
実際に校正・校閲をするときは、初めに原稿に書かれている1字1字をただの記号だと見なして読みます。次に「あの・人は」と、少し大きな単位で読み、言葉として間違いがないかどうかを確認。最後に文章全体を読んで主語と述語がちゃんと適切な組み合わせになっているか、修飾語は抜けていないか、助詞のつなぎ方がおかしくないかなどをチェックする。また、文章中に出てくる固有名詞や事実関係の確認なども並行して行い、これらをひっくるめて校正・校閲の仕事としています。
――たとえば、著者ならではの独特な言い回しや表現について、「わかりにくい」とか「変だな」と思ったときは、どうされていますか?
校正・校閲は、「著者が何を、どう書きたいのか」が一番大事です。内容に口を出すなんてもってのほかで、事実誤認や日本語の誤りは別として、著者が伝えたいことを邪魔しないことが基本的なスタンス。しかし、雑誌やウェブニュースは原稿の質が千差万別です。そのため僕の場合、「著者が伝えたいことを邪魔しない」のは原則としつつも、書き方についてかなり突っ込んだ修正を求めることも珍しくありません。
――そのほか、校正・校閲をするうえで必要なことはありますか?
たとえば、「『日本経済の変遷』を語るコラムで、このデータを使うのはおかしいぞ?」と気づくためには、世界経済や金融についてある程度把握していなくてはいけません。僕はもともと本が大好きで、たくさん読んでいたので、間違った情報に気づくための知識量には自信がありました。幅広い分野の知識を身につけておくことは、校正・校閲をするうえで必要なことだと思います。
ギャランティーの相場はライターさんの原稿料の約10分の1から5分の1
――校正・校閲のギャラはどのように決まるのでしょうか?
僕の場合、主に2パターンです。
一つは、トータルの文字量での料金設定。一定の文字単価を設定したうえで、媒体独自の表記ルールとの照らし合わせのありなしなどを含めて作業内容を整理して、単価の増減を決めます。それにページ数や文字数をかけて総額を見積もります。
もう一つは予算が決まっている場合の料金設定。「この予算で校正・校閲をしてほしい」という依頼です。こうした依頼が来た場合は、仮に金額が安いなと感じても、その媒体やお願いしてくれた人との人間関係で引き受けますね。ただ、あまりにも見合わない場合は、作業内容を限定するお願いをすることになります 。紙媒体の場合、版元から直接依頼を受けることもありますし、編集プロダクションなど制作会社経由の場合もあります。
前者のパターン は値段交渉“あり”、後者は“なし”くらいの違いですね。フリーランスの校正・校閲者に発注する場合、なかなか相場がわ からないと思います。
具体的な価格については、ページのボリュームや 、記事内容によって変わってくるので一概にはいえませんが、ライターさんの原稿料の10分の1から5分の1くらいになると思います。たとえば、4000文字の記事でライターさんの原稿料が2万円だとすると、僕の校正・校閲料は2000円から4000円くらいかな。ウェブの記事だと、ギャランティーの大半は1000円台から2000円前後で、一番高くて5000円くらい。もちろん、文字量によっては1000円以下ということもあります。
いまさらながら“師匠”と呼べる存在がほしい
――石田さんの校正・校閲は、誤字脱字や文章の誤りの指摘にとどまらず、「こうしたらもっと良くなるのでは?」という提案も含まれています。そのようにするのは、何か理由があるのでしょうか?
正直、僕は原稿を面白くしたいというモチベーションはまったくなくて、マイナスをゼロにするというか、誤りをなくすことが役割だと自負しています。だから編集者さんやライターさんには、「石田が読んでくれれば怖くない」って思ってもらいたい、それだけなんですよね。ただ、編集者さんもライターさんから上がってくる原稿をしっかり読む余裕がなくて、右から左に流しているなと感じる原稿が回ってくることもあります。それには厳しい赤字を入れたり提案を加えたりしますが、これもマイナスをなんとかゼロにしようとしているからなんです。
――最後に、今後どのようなキャリアを重ねていきたいか教えてください。
僕は、たまたま編集者さんやライターさんの縁に恵まれて、フリーで12年間生活できています。だから、この先はどうなるかわからないですが、しばらくは校正・校閲の仕事で食べていきたい。
ただ、校正の師匠がいないことが、若干コンプレックスで……。師匠がいれば、「ミスをより早く正確に発見する技術」とか、連綿と受け継がれている職人技を学べるはず。自分にはそういう技がないから、ある意味“チカラワザ”で勝負しているんです。もし校正専門の会社に所属するなりして師匠に出会っていたら、もっとシンプルでもっと良い校正ができるかもしれないって思うことはありますね。
といっても、もし自分に向いている仕事が別にあったら、ひょいって転身してしまうかもしれないとは思います。正直、僕は自己実現とか、世の中にこんなインパクトを残したいとかいった類の欲求が一切ないんですよね。人に必要とされる仕事をする、それが僕の本質かな。