鏝(コテ)を片手に、建物の壁や床、土塀などを美しく仕上げていく左官職人。しかし、1985年には22万7,000人にいた左官職人は、2010年には8万9,000人に減少しています(国勢調査より)。そんな状況の中、フリーランスの左官職人として活躍する若手の職人も登場。その一人が、野宮未葵(みき)さんです。どんな働き方をしていて、その収支はどうなっているのか、左官職人の仕事や生活についてお聞きしました。
独立して大変だったのは、仕事よりも書類まわり!?
――野宮さんの左官職人としての経歴を教えてください。
2007年に有限会社原田左官工業所に新卒で入社し、2011年に見習いから一人前として見なされる“年(ねん)明け”となりました。これは、大体4~5年見習いをしていると自動的になります。本当は、何か試験とかあったほうがいいと思うんですけど(苦笑)。その後、2012年に1級左官技能士の資格を取得し、2013年に「MIKIMADE」の屋号で独立しました。左官職人としては、2016年でちょうど10年目です。
――独立を決めたきっかけはありますか?
私は感覚で動く部分が強くて、当時は「そうだ 京都、行こう」じゃないですけど、「そうだ 辞めよう」みたいな、あっさりとした感じでしたね(笑)。今になって振り返ると、こういうことだったのかなと思うことはあります。たとえば、職場の人と目指す方向性に違いを感じたこと。あとは、前職でも壁のサンプルをデザイナーさんの所へ持って行ってその人とやりとりするなど、外部の人とも仕事をしていたので、独立してもできるんじゃないかなと感じていたこと。1級の左官技能士の資格を取れたのもあって、「よし、次のステージへ行こう!」ということだったのかもしれません。どうして辞めようと思ったのかは、本当に深く考えていなかったんです。
――独立されて、大変だったことは?
勢いもあって辞めたので、辞めた後にどういう手続きが必要なのかをまったく調べていなかったんです。ですので、仕事ではなく、開業申請や確定申告、健康保険などの書類まわりの手続きが一番大変でしたね。辞めてから自分で調べたり、いろんな人に聞いたりしていたので、半年くらいちゃんとした仕事ができませんでした。「ほかのみなさん、必要な事務作業について当たり前に知っているものですか?」とすごく気になります(笑)。
――たしかに、勤めていると会社が必要な手続きをしてくれるので、分からないですよね。その半年間、お仕事はまったくしなかったのですか?
幸いなことに、知り合いから声をかけてもらって、小さな仕事をしていました。どうやって営業すればよいかも分からなかったのですが、生活に困らない程度に仕事のお話をいただけて。独立してちょうど1年くらい経ったときに、今一緒にお仕事をしているシリカライム(※)さんの社長にお声がけいただき、さまざまな案件を担当することになりました。ほかにも、女性の左官職人は珍しがられましたし、テレビの取材を受けたのもあって、個人の方からの依頼がすごく増えました。今では営業の必要がないくらいお仕事をいただけているので、人の縁って本当に大切だなぁって実感しています。
何度も壁のサンプルを作り直し、綿密にイメージをすり合わせる
――今はどんなお仕事をされているのでしょうか?
私の場合、主な仕事の請負先は3つあって、全体の半分を占めているのがシリカライムさんから依頼です。残り2つは、個人のお客さまから直接請け負ったり、ほかの左官職人さんのヘルプに行ったりしています。現場は主に個人の住宅やテナントビルです。
具体的には、お客さまがどんな壁にしたいのかをヒアリングし、サンプルをいくつか作成して意見をお聞きします。それを元に何度もサンプルを作り直し、お客さまが納得するデザインや材料、色が決まったら、見積もりを出して、必要な材料や道具を準備して施工に入ります。
私は仕上げ仕事が中心で、壁を塗り上げるほか、エントランスや玄関のタイルを貼ったり、モルタルの洗い出し(※モルタルに色石など、大きめの骨材を入れて塗り付け、完全に固くなる前に水洗いして石の表面を出す工程)をしたりしています。
――サンプルでイメージをすり合わせるのは重要なプロセスなのですね。
大きいビルでゼネコンが入っている場合は、事前に情報がすべてそろっていて、サンプルを何枚か出して「はい、じゃあこれで」という流れもあります。一方、個人のお客さまの場合は、何度もコミュニケーションを取り、まずは仲良くなって話を引き出せるようになってから具体的に進むこともあります。そのため、仕上がりのイメージについては何度も対話を重ねます。私としても、仕事に取り掛かるならお客さまに「これでお願いしたい!」と納得してもらえた方が気持ちよく仕事ができますし、塗った後に「なんか違う……」というやり直しのリスクも減りますから。
――やり直しのリスクは大きいですよね……。現場によって異なると思いますが、左官職人の場合、1現場にどのくらいの日数がかかるのでしょうか?
塗る範囲にもよりますが、平均すると1~2週間です。大きいビルだと1カ月かかることもありますし、自分で材料を手配せずに仕上がり仕事だけをするなら、3~4日で終わることもあります。
現場の状況や塗る範囲、塗る物、どういう風に塗るかといった情報を総合して日数を出しますが、先ほどお話した通り、サンプルのやりとりでも変わります。
なかなか知る機会のない左官職人の収入状況とは
――その日数によって、1現場の費用も変わりますか?
そうですね。左官仕事の費用は、1人の作業員が1日でできる仕事量を「人工(にんく)」といって、人工×日数が基本となります。1人工がいくらになるかは、現場や施工内容によって決まるので、一概にいくらですとは言えません。また、材料費や駐車場代も含めて、施主さんにお見積もりを出しています。
たとえば、ある案件の場合は、1人工1万8,000円で6日の仕事なので、10万8,000円。そこに、作業する際に必要な養生費や交通費、サンプル料、下塗り料なども含めて、合計約24万円です。かかる日数にもよりますが、20~30平米で、現場の段取りが必要ない場合だと、平均15~25万円くらい。材料を手配して、事務仕事もすべて引き受けてとなると、その分費用は上がります。
難しいのはサンプル料で、対企業の場合は諸経費としてそのまま計上することもあるのですが、相手が個人のお客さまの場合、ほかの項目とバランスを取ることもあります。本当は、厳密にした方がいいとは思うのですが、仲良くなるとおいしいごはんに連れて行ってもらったり、お土産をもらえたりするので、お金以外の部分で「幸せだな」と感じて満足している部分も大きいです。先輩方からすれば、「甘い」と言われるのですが(笑)。
――どんな仕事でも、お金だけで測れない部分ってありますよね。1年間にどのくらいの現場数を担当しているのでしょうか?
現場の大小ありますが、1年間に20~30案件は施工していると思います。2016年は今把握しているだけでも、半年間で11案件。私はフリーランスの立場で一緒に仕事をする人がいないので、同時に複数の現場を担当することはできません。現場の休憩中にほかの案件の見積もりを出すなどの書類仕事をしたりして、スケジュールを調整しています。
――年に20~30案件となると、売り上げは1,000万円近く……?
2015年の確定申告の書類を見ると、1,000万円は超えていますね。ここから、これは経費ですよねといろいろ調整していきますが、意外な物も経費になって面白いんですよね。
――たとえば、どういうものが?
防水防塵耐衝撃のスマホのカバーが認められたのは驚きました。故障の恐れがあるので、そういうものでなければ現場で使えないからなのですが、見た目がすごくゴツイです(苦笑)。あとは、仕事で必要な鏝(コテ)やかくはん機、樽、タイルを切るサンダー、掃除機はもちろん、脚立やブラシ、ハケなど、いろいろあります。鏝(コテ)と一言でいっても、用途や塗る材料によって使い分ける必要があるので、現場に応じて月1~2本は買い足していますね。日常的に使うのは1,000円~5,000円のものもありますが、2万円以上するものも。脚立も素材やサイズ、機能性でピンキリですね。
ネットワークを広げ、仲間とより良い物を作っていきたい
――法人化を考えたりすることはありますか?
スタッフを雇おうと思うようになったら考えた方がいいのかなと思いますが、今はそうしようとは思っていないですね。基本的に現場で作業をしているのが楽しいですから。
いつも思っているのですが、一つとして同じ現場はないんです。現場ごとに自分の引き出しから「こことここの壁の素材が違うから、このまま塗ると色むらができる」って危険を察知したり、「あの現場で知ったことをここで生かせるかも」と応用したりするように、常に新しい発見があります。
ただ、最近考えるのは、“仲間”がほしいなって。一つの物を作り上げるのに、同じ方向性を向いて、面白い仕事をどんどん手掛けていきたい。会社を作るよりは、ネットワークを広げたいという思いの方が強いかもしれません。今世の中の風潮は「安く、安く」ではなく、「いい物にはきちんとした対価を払う」流れになっているので、適正価格でいい物を提供できる環境になってきました。そのためには日々いろんなことを吸収して、仕事に生かしていきたいです。