
ビートたけし、とんねるず、ダウンタウン、ナインティナイン……。
筆者(アラフォー)にとって、少年時代にテレビで観たキラ星のごときスターにまつわる思い出トークをしていると、至福の感情に包まれます。
放送作家の大井洋一さんは、筆者と同学年であり、『水曜日のダウンタウン』や『クイズ☆タレント名鑑』を担当してきた、この世代を代表する放送作家のトップランナー! 今回は、放送作家がどのような仕事をしているのか、そして大井さんがこの職業に就いた経緯などについて伺ってきました。
コネクションを作る目的で、まずは芸人としてデビュー
――お笑いが好きな子には「放送作家」という職業を知る瞬間があると思うのですが、大井さんはいつでしたか?
僕は元々ラジオが好きで、特に今田(耕司)さんと東野(幸治)さんがパーソナリティを務める『パック・イン・ミュージック21』(TBS系)を聴いていたんです。そしてあるとき、「スタジオで彼ら以外にも人がいる」と気付いたんですね。それが、放送作家の人で。何の仕事をしてるかわからないけど、「芸人と楽しいお喋りしてたらいいのかな?」と、楽しそうに思ったのが最初でした。
――ラジオということは、はがきも出していたんですか?
出していました。わりと読まれたりもしたから、「放送作家として通用するのかな……?」って(笑)。
ただ、放送作家になりたかったけどなり方がわからないので、大学に進学しました。そしたら、学校の先輩が当時あった渋谷公園通り劇場(かつて吉本興業が運営していた劇場)の芸人のオーディションを受けてたんですよ。
――そこでは、放送作家も募集されていたんですか?
劇場では芸人の募集はしてるけど、放送作家の募集はしてなかったので「芸人として入って、そこでコネクションを作ればいいや」と、俺も大学の同級生とのコンビでオーディションを受けに行ったら受かったんです。ただ、芸人になっても自分としては手応えがなく、ガレッジセールとか上の人たちを見て、「俺には無理だ……」と思っていましたね。
すると、運がいいのか悪いのか、入って数カ月で劇場が潰れました。どうしようかと思っていたら、町で偶然、劇場に放送作家として関わっていた桝本(壮志)さんという先輩に会ったんです。そこで「自分も放送作家になりたいです」と直談判し、桝本さんの仕事の手伝いをするようになりました。
――その後、どうやってテレビの仕事に到達したのでしょうか?
ガレッジのゴリさんに「飲みに行くぞ」って新宿2丁目のオカマバーに連れて行かれたんですけど、そこにマッコイ(斎藤)さんがいたんです。それで3人で飲んだとき、ゴリさんが「こいつ放送作家の見習いなんですよ」って話をしてくれたら、マッコイさんが「じゃあ今度番組があるから、ギャラはないけど手伝いに来たら?」って。そうして行ったのが『極楽とんぼのとび蹴りゴッデス』(テレビ朝日系)という番組でした。
――僕が大学時代、一番好きだった番組ですよ!
本当ですか(笑)。で、マッコイさんが同時に『SURE×2ガレッジセール』(TBS系)という番組を始めて、そこにも連れてってもらいました。あの頃はまだ作家を始めて2~3年目くらいで、僕はたぶん仕事をいただけるのが早い方だったと思います。
――その頃、大学には行ってたんですか?
いや、もう辞めちゃってました。そのときは劇場の手伝いもしていて、僕よりちょっと後輩のロバートやインパルスと一緒にネタを作ることもありました。そしたら、彼らが『はねるのトびら』(フジテレビ系)に出るようになったので、僕も番組に呼んでいただきました。
23歳のときは放送作家として月8万円、次第に生活できるように
――『とび蹴りゴッデス』とガレッジの番組と『はねるのトびら』の3本を抱えていらっしゃるわけで、着々と仕事が増えていますね。
ゴッデスはギャラが出てないですけどね(笑)。
当時の『はねる~』のギャラは週1の放送が1本1万5,000円くらいで、月6万円。で、ガレッジの方は1本5,000円だから月2万円。それだけだと生活できないので、下北沢の駐車場の受付のバイトもしてました。
――作家だけで生活できるようになったのはいつからでしょうか?
25~26歳くらいで食べていけるようになったんですけど、それでも結構早い方だと思います。ゴッデスやガレッジで知り合ったディレクターさんが声を掛けてくれ『笑っていいとも!』と『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)が始まったのが大きかったです。
――いきなり、超メジャーに行きましたね!
僕、本当にラッキーなんですよ。“番組運”がいいというか。当時は若手ながらそれなりのギャラをいただけて、バイトを辞めることができました。スマスマのギャラは、それだけで生活できるくらいでしたし。あと、『はねるのトびら』がゴールデンに変更になったので、放送時間が良くなったことで、そちらもギャラが上がったんです。
この職業のピーク!? 「放送作家、35歳万能説」
――ちなみに現在、大井さんはどんな番組を担当されていますか?
『水曜日のダウンタウン』(TBS系)、『家、ついて行ってイイですか?』(テレビ東京系)、さまぁ~ずの『7つの海を楽しもう!世界さまぁ~リゾート』(TBS系)、『FUJIYAMA FIGHT CLUB』(フジテレビ系)です。あと最近は、『亀田興毅に勝ったら1000万円』など、AbemaTVの仕事が昔の深夜番組みたいにたくさん入ってきています。AbemaTVも入れたら、担当番組は計8本くらいになります。
――担当番組8本は多い方ですか?
たぶん、僕は少ない方ですよ。今、35歳くらいの子は本当に売れてて。俺も、35歳くらいの頃が一番多かった気がします。若いディレクターのほうが依頼しやすいし、キャリアがあるから意見も言えるし、さらにはある程度の実績もある。「放送作家、35歳万能説」ですね(笑)。
――放送作家の報酬はおおよそ1本いくらくらいか教えていただけますか?
局や番組によって、まちまちです。俺だったら、ゴールデン1本を担当したら、理想はそれだけで生活できるくらいは欲しいな……とは思います。とはいえ、今は時代も良くないから金額のことは言ってられないですけどね。
――それでも作家になりたい若い人って、今もすごく多いじゃないですか。その中で「こいつは見どころあるな」という特徴はありますか?
「これ、いいよね」「できるよね」っていうヒット程度のネタを出すのって、ある程度の学習能力があってノウハウを身に付ければできると思うんです。でも、「おもしれー!」っていうホームランがなかなか打てない。それでも大振りし続け、ホームラン狙いのネタを出し続けるのが若手の仕事じゃないのかなって。
放送作家は、マイナーなものをメジャーにできる
――今後、こういう番組を作っていきたいという展望はございますか?
たとえば、『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)には、とんねるずというスターがいますよね。『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)にはナインティナインというスターがいる。「スターが何をするんだろうな?」みたいな、面白い人が面白いことをやる番組をやりたいですよね。そして、そういうスターに僕は寄り添いたい(笑)。
今でも僕、何か企画を考えるときに頭の中でよぎるのが、めちゃイケの企画だった「持ってけ100万円」なんです。ナイナイの矢部さんが路上に100万円を置き、拾った人はもらえるけど、拾われなかったら倍になって戻ってくるという。
あれを見たときに「なんて面白いんだ!」って。アイデアだけだし、お金はかからないし、ドキドキするし、世の中を巻き込んでいるし……。「俺の好きなテレビが全て盛り込んである!」みたいな(笑)。思い返すと、テレビにある大体の企画はめちゃイケでやってた気がするんですよね。
――そのめちゃイケが番組終了を発表。
本当に、悲しいです。『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)も面白くて笑いながら見るんですけど、それとめちゃイケの面白さはまったく違うものだと思います。視聴者の感性も変わり、めちゃイケのように作り込んだものから段々シフトしてきているのかなぁ……とは思いつつ、「そうは言っても面白かったら見るよね」と信じています。
――最後に、放送作家になって良かったと思う瞬間として何を挙げることができますか?
興味のあることが趣味で終わらずに仕事になることですね。格闘技が好きなら、格闘技の仕事が入ってくることもありますから。事実、今は『FUJIYAMA FIGHT CLUB』とAbemaTVで格闘技の番組を担当しています。
放送作家は、興味のあるものをテレビへ引っ張ってくることができます。マイナーだったものがメジャーになる手助けができる。そういう意味で、まだテレビは魅力的なのかなあって。だって、テレビで格闘技を扱うことは、自分の使命だと思ってますから(笑)!