東京オリンピックが大転換期?監督・遅塚勝一さんが明かすCM制作の内情と将来

みなさん、CMってちゃんと見ますか? 筆者は早送りせず、割とがっつり見るほう。それどころか、大昔に見たものが未だ心に残っていたりします。

 

そうなると気になってくるのが、CM撮影現場のこと。どういう人が集まり、どういう流れで制作されているのだろう? そもそも、彼らはどうしてCM業界を目指したのか、ということです。

 

それらを引っくるめ、今回はナイナイと江角マキコが出演していた「NISSAN ウィングロード」などを手がけた、CM監督の遅塚勝一さんに話を伺ってみようと思います。

憧れていたCM業界に入るも、給料の安さに驚き

――大学卒業後に「宣伝会議」のコピーライター講座に通われたとのことですが、これはどういう経緯で?

当時、広告っていうのはオシャレだったんですね。糸井(重里)さんとか川崎(徹)さんらが話題になっていて。それで広告業界へ行こうと思ったわけ。でも、思い立ったのが大学を卒業した4月くらいで、そのタイミングで募集してたのが宣伝会議しかなかった(笑)。

 

卒業制作では、コピーの部門で金賞とCMの部門で銀賞をとったんです。そのときの課題は桃屋の「花らっきょう」で、「食卓の歯車」ってコピーを書いたかな。で、賞をとったら講師の人に「テレコムジャパンというテレビ制作プロダクションがあるんだけど受けてみない?」と言われ、受けたら受かったんです。

――そんなにあっさり受かるものなんですね(苦笑)。

普通に受けたら1000倍くらいの会社なんだけど「賞を獲ったやつだから」ってスルッと入っちゃったんです。

 

仕事でコマーシャルができて、テレビができて、ラジオができて、イベントもできるなんて、モラトリアムにはぴったりな会社じゃないですか? 迷える就職希望者はこぞって受けたもんですよ。でも、入ったら給料が安いし、労働環境もかなり過酷でしたけど(笑)。

――お給料、安いんですか?

安いよ! いろんなことやってるけど、社員も多いからね(笑)。その後、出向で博報堂に行って。ちょうど、某企業のCMで勝新太郎の家族もののCMを作ってたんですけど、オンエア当日に勝さんが“パンツ事件”を起こしちゃって、すぐお蔵(笑)。一日しか流れていない。そうこうしているうちに、自分も38~39歳になっていて、「そろそろ……」という感じで独立したんです。

阪神大震災の被災者を励ましたCMが思い出深い

――CM監督って、どうやってなるのが主流なんでしょうか?

CM業界には「制作進行」というAD的なポジションがあり、そこからディレクターやプロデューサーになるのが主流。でも、おれ俺は制作進行を半年くらいしか担当せず、すぐディレクターになれちゃった。当時は景気が良く、社内のディレクターの多くがフリーになっていったからです。

――遅塚さんが監督として初めて撮ったCMは何ですか?

農協にあった「協同カード」のCM。業界に入って初めて携わったのは「きもののやまと」で、喜多嶋舞のCMデビュー作だった。そのときは一番下っ端だったけど「こんなにきれいに撮れるものか!」と思いましたよ。できあがったフィルムをスタッフで見るんだけど、その映像は何もいじられてない傷なしのフィルムだから異様にきれいなんです。

――今まで数多くのCMを手がけられたと思うんですが、その中で一番手応えのあったものは何でしょうか?

若い頃に手がけた「関西セルラー」っていう関西のローカルCMかな。それはシリーズもので鶴田真由さんと反町隆史さんを起用しました。あのころ、飲み屋で飲んでたらそのコマーシャルの話をする客が近くの席に数人いて、内心「それはおれが作ったんだよー!」と思ったことがありましたね。

――それはうれしいですね。

それからちょっとしたら阪神大震災が起こり、予定していたロケ地が全部ダメになってしまったんです。だから急きょスタジオで撮ったんだけど、「被災者を励ましている」「元気を与えている」という風に受け取られ、評判が良かったのも感慨深いです。

 

それまでは、「通話ができるデートコース」というシチュエーションをアピールさせたく、大阪の街で撮影していました。でも、震災が起こり、外では撮れなくなった。だから、黒バックで反町さんと鶴田さん一人ずつで出てもらい、誰かと携帯で話しているようなCMを制作することにしました。サイドストーリーは「もっと」で、「もっと会いたい」「もっと話したい」という内容。あえて「がんばって!」のような直接的な言葉にはしなかったんですけど、視聴者の側が裏にあるメッセージを受け止めてくれたんです。

出演タレントから言われる笑えない冗談

――そもそも、CMってどういう流れで作られていくのでしょうか?

まず商品のオリエンテーションを聞いて、それを元にコピーライターとかプランナーたちが企画を考えます。「この商品はどの年齢層に売りたいか」「合うタレントは誰か」を始め、音楽とかも。ここで、企画台本というか絵コンテができあがります。

 

CM監督は一緒に企画を考えるときもあるし、すでにできあがった企画を渡されることもあります。で、企画を見てからキャスティングを決めるケースもある。「Aってタレントがいるんだけどどうですか?」「似たような商品やってるからダメです」みたいな、よくあるやり取りがあって。

――AとBという2人のタレントが“類似タレント”に括られ、Aに蹴られたCMのオファーがBに行ったという話もよく耳にします。

タレントさんもわかってるから「どうせAに断られたんだろ? おれのほうがちょっと安いもんな」って笑えない冗談を言ってきたり(笑)。

 

それらを踏まえ、映像を撮るときにCM監督が「こうしよう」と決めていくわけです。そして、撮り終わったら編集。ここでは尺に合わせたつなぎをし、テロップを入れて音を入れる。完成したら、クライアントの宣伝部の人が見に来ます。彼らにOKをもらったら、重役に見せ、最後に社長が見ますね。

――CM制作にかかる期間ってどのくらいですか?

サイクルは早くて、1カ月。商品の入れ替わりもあるし、そんなに長い時間はかけられないんだよね。

CMに“できる人”の芝居はいらない

――CM監督になりたい人は大勢いると思うんですけど、「こいつ、見どころあるな」というタイプにはどんな素養がありますか?

企画が面白いのはもちろんなんだけど、それより協調性ですね。出演者に企画の内容を柔らかく伝えられるか。伝える方がガチガチだと、演者もガチガチになるでしょ? 

 

CMは特にそうなんだけど、できる人の芝居は求めないんですよ。その人が自然に取ったリアクションや、アドリブでペロッと言ったことがOKになっちゃう。だから、舞台の役者さんって意外とCMに向いてなかったりする。だって、30秒なんかすぐなんだもん。そこでバシッとしゃべられても。企画の一歩上を行く感じがいいんですね。タレントさんの素の姿の方が。

――とんねるずの『おっとっと』のCMで石橋貴明がこけた場面を使っていたのがすごく印象に残ってます。

編集していても、そっちの方がおもしろいんです。実際、現場とかでも盛り上がったと思うし、試写していてもクライアントはそこが一番ウケるんですね。

――じゃあ、CMの撮影現場ってピリピリしてないんですか?

そういう場合もあるし、そうでない場合もあります。現場で怖いタレントさんもいますしね。たとえば、●●さんに「笑ってください」って言っても「笑えねえよ!」って言われたり(笑)。

CM業界は東京オリンピック前後で大きく変わるはず

――CM1本には、およそどのくらいの制作費が出るんでしょうか?

本当にピンキリなんですよ。1億円近くの額が出るときもあれば、50万円のときとかもある。

――50万!? タレントさんを使ってその額ですか?

あるある。タレントのギャラとCMの制作費は別だもん。あと、“CMの女王”と呼ばれるような人たちは、実は2,000万円台くらいで単価はそんなにしない。

――へぇーっ! ところで1本のCMを撮影するごとに監督はどのくらいのギャランティを受け取っているのでしょうか?

おれだったら100万円単位の下の方(~500万円くらい)から10万円単位。それにロケが加わると、拘束時間が長くなるから数百万円になりますね。

――最近は不況ですけど、そういった事情は報酬や制作費に影響がありますか?

フリーになってから苦しい時期は訪れてないんですけど、最近は長期低落傾向で先細ってはいます。回復はないでしょうね。でもCMディレクターって競技人口の少ないジャンルだから、仕事が来るときは来るんです。

――制作費に関しては?

ネットCMの制作費はガクンと落ちます。テレビを10としたらネットは1。ネットCMで制作費が100万とかだったら「おーっ!」って驚くもん。

――ネットCMの数は増えていますか?

増えてます。メディアの中でテレビがメインじゃなくなってきたから、じきに全部移りますよ。この前、元SMAPの3人が出た『72時間ホンネテレビ』もAbemaTVじゃないですか。特に、オリンピック前後で劇的に変わってくると思います。

CM制作を経験することで、他分野に手を広げる汎用性ができた

――遅塚さんがされている仕事は、CM制作のみですか?

テレビやショートムービー、芝居も手がけているし、ライブハウスでトークショーの依頼もある。CMを中心としてるんだけど、最近は自分の肩書がわかんなくなってきちゃって(笑)。CMに携わったことで、ほかの仕事への汎用性ができあがったんだと思います。

――そうなると、いろんな仕事を同時進行しているのでしょうか?

おれの場合は、芝居をプロデュースするときはCMの方は2カ月休む。CM以外の仕事が入ったら「ここまでにしておこう」と、CM制作はスパッと休止する。切り替えが大変ですよ(苦笑)。今年は、小松政夫さんの著書『時代とフザケた男」』の構成も担当しました。

――遅塚さんはCM監督をやっていて良かったなと思った瞬間は何でしたか?

すごいくだらないことですけど、麻布にある「登龍」って中華料理屋の担々麺を食べれたときはうれしかったなぁ(笑)。1杯2000円くらいしてうまいんですよ。それをスタジオで食べられるのはちゃんとした監督になれた証。食べられたときは、一人前になれた気がしたもんで。スタジオで注文すると伸びてるんですけどね(笑)。

 

そういうささやかなうれしさもあるけど、やっぱり今後もずっと人の心に残るCMを作りたいね。CMって、流れてナンボじゃないですか? だったら、短い秒数だけど人の心にずっと残るものを目指したいよね。

Interview
遅塚勝一さん
遅塚勝一さん

1963年生まれ。CMディレクター、コピーライター、演出家として活躍中。舞台・ショートムービー・プロレスなどのプロデュースも手がける。超絶記憶力を駆使した70~80年代カルチャートークの名手。

Writer Profile
寺西ジャジューカ
寺西ジャジューカ

1978年、東京都生まれ。2008年よりフリーライターとして活動中。得意分野は、芸能、音楽、格闘技、イベント系。『証言UWF』(宝島社)に執筆。
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