看板商品「FOBS GAUFRES」で注目!蔵前「パティスリーフォブス」の開業資金の内訳は?

おしゃれなカフェや雑貨ショップが続々とオープンし、お散歩エリアとして人気上昇中の「蔵前」。そんな街に2016年10月、「Patisserie FOBS(パティスリー フォブス)」がニューオープンしました。

 

店名の「FOBS」には、スイーツの基本材料である「小麦粉(Farine)」「卵(Oeuf)」「バター(Beurre)」「砂糖(Sucre)」というフランス語の頭文字を配して、“基本に忠実に”という想いを込めています。基本に忠実なお菓子作りが評判を呼び、オープン直後から有名雑誌の特集で掲載されるなど、いま人気実力ともに注目されているパティスリーです。なかでも看板スイーツ「FOBS GAUFRES」は、“ここだけにしかない特別な味”として、スイーツ評論家からも太鼓判を押されている逸品。

 

同店のオーナーパティシエ安井義則さんは、「元瓦葺き職人」の肩書きの持ち主。なぜパティシエに転向することになったのでしょうか? また、開業に掛かった資金などについても聞きました。

瓦葺き職人から料理人、パティシエへとキャリアチェンジ

――安井さんは、なぜ瓦葺職人からパティシエになったのでしょう?

家業が瓦葺屋だったので、高校卒業後に自然と「この仕事を継ごうかな」と思うようになりました。ところが23歳くらいで飲食関係に興味を持つようになったんです。というのも、自炊をしていたのですが、それがとても楽しくて。作るものはパスタとか簡単なものでしたが、どんどん料理に惹かれていきました。

 

そこで、瓦葺き職人と掛け持ちで、イタリアンのお店でアルバイトをするようになりました。現場が夕方5時ぐらいに終わって、6時半からアルバイトで4時間くらい働いていましたが、楽しかったので疲れは感じませんでしたね。

――最初は料理人からのスタートだったんですね。そこからなぜお菓子作りの道に進まれたのでしょう?

その後、瓦葺き職人を辞めて、フランス料理店に転職しました。そのお店でデザートを作らせてもらうようになったのですが、今度は料理よりお菓子作りの面白さに目覚めました。料理はスピードが命で、同時に色々なことを進めないといけないのですが、お菓子だと一つのことを掘り下げられるんです。そこが自分に合っているなって。

 

それから、東京の有名なお菓子屋さんを一人で食べ歩きました。 特に、自由が丘にある「パリセヴェイユ」のお菓子を食べたときには衝撃でしたね。すごくおいしくて感激したのを覚えています。自分はやっぱりお菓子が作りたいんだと確信しました。

29歳からの菓子修行、10代と一緒のスタートに悔しさも

――とはいえ、年齢的にギリギリだったのではないでしょうか?

そうですね。その当時、すでに29歳だったので、さらに未経験となると雇ってくれるお菓子屋さんはなかなかありませんでした。そんななかで、フランス菓子の「シェ・シーマ」が採用してくれることに。生菓子を中心に、伝統菓子というよりはトレンドの生菓子を作らせてもらっていました。ただ、年下の子が多くて、製菓学校出たての10代と同じスタートは正直つらかったですね。それでも我慢できたのは、好きなことを仕事にできた喜びがあったからだと思います。

――やっぱりお菓子作りが天職だったということでしょうか?

はい、知れば知るほどハマっていきました。仕事だけじゃなくて休みの日も自主勉をしていました。そんななかで、パティシエで知らない人はいない世田谷にあるフランス菓子の有名店「オーボンヴュータン」の本に出合ったのですが、フランス菓子は本当に奥が深くてかっこいいなと思いました。知識を深めるならやはり本場に行くしかないと、3年ほどフランスで修行をすることにしました。

フランスで食べた本場の「ゴーフル」の美味しさに衝撃!

――フランス修行ではどのような収穫がありましたか?

最初はノルマンディー、次にアミアン、最後はパリ近郊の高級住宅地サン・ジェルマン・アン・レーにあるお菓子屋さんで働かせてもらいました。その間、さまざまなことを学びましたが、何といってもフランスの菓子文化を直接学べたことは最も大きな収穫です。

 

どんな小さな町でもお菓子屋さんがあって、素材の小麦粉、牛乳、バター、すべてが良質だからおいしいんですよね。フランスは見た目より、本質を大事にしようという姿勢を感じました。ただ、見た目は日本のお菓子の方が綺麗です。そういう意味では、日本の方が進んでいるのかなって。外に出たからこそ、日本の良さを知ることもできました。

――帰国後、「シェ・シーマ」に戻られてから、恵比寿の「ロブション」へ転職され、昨年独立にいたったとか。「FOBS」をオープンするきっかけは、何だったのでしょうか?

 

35歳で帰国して、日本で仕事を再開したのですが、いつかは自分のお店を開きたいなと思うようになりました。というのも、ベルギーに近いフランス・リール地方の伝統的なお菓子「ゴーフル」をパリで買って食べたのですが、その味に感動して帰国してからも忘れられなかったんです。日本にはない味だったので、いつか自分の店でそのゴーフルを再現したいという夢を持つようになりました。

――本場の「ゴーフル」の商品化のために、試行錯誤を重ねたとか。

レシピも何もなくて、食べたときの自分の味覚だけが頼りでしたから、いくつもの生地で試してみました。最初はクッキー生地などで作ってみたのですが、最終的にブリオッシュのパン生地だとわかりました。サンドするクリームは、バターに風味と食感が違う3種類の砂糖を混ぜて作っています。 独特なシャリシャリとした食感を出すのには苦労しました。でも、納得がいくゴーフルを作ることができたので、独立の決意にいたりました。

自分の夢を叶えるために開業、そのために掛かった費用とは?

――ゴーフルを完成させるために掛かった時間と費用はどれくらいでしょうか?

完成までに3年ほど費やしました。ゴーフルを作ること自体は材料費だけなので、15万円ほどでしょうか。ただ、お店をオープンさせるために、ゴーフルを焼く機械を新たに購入したので、それに30万円。さらに特注でお店のロゴマークを入れる型代のため30万円ほど必要でした。

――お店を蔵前に出されようと思ったのはなぜでしょう?

店舗はいろいろ探したのですが、天井が低いとか、裏道で人が通らないなど、なかなか気に入る物件がなくて。それで、蔵前にある妻の実家に遊びに行ったときに、そのことを話したら、「ここでやったら?」と言われて。妻の実家の1階をリノベーションして、開業することにしました。

――開業にはどれくらい費用が掛かりましたか?

開業資金は日本政策金融公庫と、台東区の無利子の融資制度を利用して、約2,000万円を調達しました。内訳は、店舗の内装に700万円、残りの1,300万円は機材の購入や追加工事に費やしました。いま接客やレジを担当してくれている妻は、もともとパティシエをしていたので、仕込みなどは手伝ってくれますが、基本的に商品は自分一人で作らなくてはいけません。なので、生地を伸ばしたり、混ぜたりする機械を購入して、効率化できるところはしようと。

――いまではスイーツ界の新星として、各方面から注目されている安井さんですが、開業にあたって不安はありませんでしたか?

個人事業主ってリスクが大きいですよね。リスクは怖いですけれども、「やっていけるんじゃないかな」って確信はありましたね。ゴーフルに関しても、最初に食べたときから日本人の舌に合うはずだと思っていたので、これは絶対売れるだろうなと。丁寧にきちんと作ったものを提供していれば、成功できるだろうという自信はありました。

――最後に今後の目標と、安井さんと同じく個人事業主として頑張っている人たちにメッセージをお願いします。

目標は、お店でデセール(お皿に盛られたデザート)を出したいと思っています。いまは余裕がないのですが、出来たての味を食べてもらいたいです。

 

あと、メッセージですが、自分がやっていることを好きだって信じられるかどうかじゃないかなと。僕は、常にお菓子のことを考えています。おそらく個人事業主で仕事をしている人は、その仕事を好きだって思ったから独立しているはず。好きなことを仕事にできているのであれば、そのことをいつも考えてやっていけば道は開けるはずです。

Interview
安井義則さん
安井義則さん

瓦葺き職人からイタリアンレストラン勤務などを経て、パティシエとして2016年10月に東京・蔵前で「Patisserie FOBS」をオープン。焼き菓子から生菓子まで、「小麦粉」「卵」「バター」「砂糖」などの素材にこだわった菓子作りにこだわっている。
https://www.facebook.com/PatisserieFOBS

Writer Profile
末吉陽子
末吉陽子

編集者・ライター。1985年、千葉県生まれ。日本大学芸術学部卒。コラムやインタビュー記事の執筆を中心に活動。ジャンルは、社会問題から恋愛、住宅からガイドブックまで多岐にわたる。
▼公式サイト
http://yokosueyoshi.jimdo.com/

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