悩み続ける人生にピリオドを 独立20年の旅エッセイスト・宮田珠己さんに聞く

旅行やレジャーを中心にエッセイを執筆する宮田珠己さんは、1995年に「旅をしまくりたい」という理由から約10年勤めた会社を退職。以後、20年以上にわたって、エッセイストとして生計を立てています。ライバルの多い旅行ジャンルでの執筆仕事を続けるために意識したことは? そして、物書きとして食べていく大変さとは?

旅と物書きがしたいと、10年も悩んだ……失敗してもいいから独立しよう

――宮田さんは会社員時代、どのような仕事をされていたのでしょうか?

1986年にリクルートに入社し、不動産の営業を担当していました。だけど、その仕事が嫌でたまらなくて、全然仕事をしていませんでしたね(笑)。

 

実は僕、小学校の卒業文集で作家になりたいって書いているんですよ。もっとも、そういう夢はあっても、口にするだけで本気で考えていたわけではなかったのですが。リクルートに入社したのは、さまざまな情報誌を発行していたので何か物を書く仕事に就けると思ったから。ずっと異動願いを出し続け、入社5年目にして制作部に異動になりました。

――念願の書く仕事に携われたので、今度は仕事が楽しくなった?

すごく楽しかったですね。僕は転職情報誌「とらばーゆ」や「B-ing」に載せる人材募集の広告を担当していて、掲載希望企業に取材へ行っていい記事を作るのが仕事でした。

 

仕事に情熱を注ぐことができて、徐々に周囲から評価もされるようになりました。

――仕事に恵まれた状態から、独立に心が傾いたのは何があったのでしょうか?

旅行が好きで好きでしょうがなくて。ゴールデンウイーク、夏休み、年末年始と、大型連休は全部海外旅行に費やしました。さらに当時リクルートには3年勤めると1カ月休めるリフレッシュ休暇制度があり、それを利用して長期旅行もしましたね。これで満足できれば良かったのですが、人間は欲深いもので……。だんだん1カ月では物足りなくなってくるんですよ。いっそのこと、いつ帰ってくるかわからない旅行がしたいなと。

 

あと、僕はそもそも自分の言葉で物を書きたい欲求がありました。広告は誰かの思いを代弁することで、自分が書きたいこととは違いますよね。自分の書きたいことを書きたいという思いが強くなっていきました。

 

だけど、やっとつかんだ自分に合っている仕事。しかも給料も良かったし、安泰なわけです。独立し、旅行をして物を書きたいという思いはあったものの、独立のメリットとデメリットを書き出すと明らかにデメリットの方が多いわけです。そうなると、なかなか踏ん切りがつかないですよね。

――会社員のような有給休暇や福利厚生はなくなりますものね……。

そうなんですよ。なかなか辞める勇気が持てない中で、それでもフリーになる決断をしたのは、自分が「旅行がしたい」「物書きがしたい」と、10年近くも悩んでいたからです。当時20代後半でしたが、自分は40歳になっても同じことで悩んでいるのでは、と想像してしまった。だって、社会人になってからずっと悩んでいるんですよ? だからもし将来独立を後悔したとしても、やらないで後悔するよりはやって後悔しようと思いました。

 

あと、フリーランスで活動している人を間近で見ていたのも、背中を押すきっかけになりました。広告制作は、フリーライターさんに外注することもあります。もし独立して自分の書きたいことがなかなかできなかったとしても、リクルートと業務委託の形で関わればなんとか生きていくことはできるだろうと算段しました。

自費出版で出した本が、その後の仕事につながっていった

――旅行が好きで、旅行記を書きたい。そう思っても、何か足掛かりがないと、収入を得るのは厳しいですよね。

独立はまだ考えてなかった頃に、社内で自分が好きなことを書ける場を作ろうと、社内報の制作を提案しました。真面目な業務内容を載せつつ独自ページも作り、そこで僕はこれまでの旅の記録を執筆。同じ制作部の人にもいろいろと書いてもらうことにしました。

 

何回か書いているうちに記事もたまってきたので、これを一冊の本にしたら何かの足掛かりになるんじゃないかと考えたんです。当時、リクルート出版という関連会社があったので、そこに持ち込んで。でも、編集者から「有名な作家が旅行記を書いても売れることが少ないのに、誰も知らない君が出しても売れないから無理だ」と。それはそうなのですが、本にすれば「私はこういうものが書けます」という名刺代わりになると考え、自費出版で出すことにしました。

――自費出版で本を出し、さらに独立となると、資金の工面はどのようにしたのでしょうか?

給料が良かったこともあって退職時の貯蓄は1,000万円近く、さらに退職金が150万円ほど出ました。自費出版は120~130万円だったので、退職金をそれに充てた形になりますね。独立後は、貯蓄を食いつぶしながら生活していこうと考えていました。

――そして独立後は、以前から思い描いていた期限なしの旅行ですね!

それが、持病でドクターストップがかかり、半年近くの休養することになりまして。旅行がしたくて辞めたのに、「がーん!」って感じですよ。

 

同時に、自費出版の本をどうしたものかと悩みました。800冊作って、700冊は出版社が営業して書店に置いてくれる話になっていたのですが、100冊は手元にありました。よく雑誌の後半に読者プレゼントがあるじゃないですか。ああいうのに使ってもらえたら少しでも読んでくれる人が増えるかなと思い、『旅行人』という雑誌の編集部に送りました。

 

そしたら「面白かった」と連絡が来て、連載の仕事が入りました。値段は忘れましたが、安かったのは覚えています(笑)。また、新規で単行本一冊の執筆依頼ももらうことができ、ネタ集めのために半年間東南アジアへ行くことにしました。そして、『東南アジア四次元日記』(旅行人、のちに幻冬舎文庫)を出版しました。

――その後は、どのようにお仕事をつないでいったのでしょうか?

東南アジアから帰国したら、今度は小学館から自費出版した本の文庫本化の話が舞い込みました。旅行人が旅に関する本のフェアで僕の本を取り上げてくれていたのですが、それを見てくれたみたいで。小学館からも新しく単行本の依頼があり、それを書くことになりました。

独特な“脱力文体”は、ネタに頼っていては書けない状況から生まれた

――自費出版の本が仕事につながっていく。順風満帆ですね。

それが、2冊目ですでにネタに困りました……。というのも、最初の自費出版は会社員時代の10年間の旅行のなかから選りすぐって書いているんです。その次の旅行人で出版した東南アジアの旅行記は旅行中のハプニングをばんばんばんっ! って書いたものの、今後もネタになるようなハプニングが起こるとは限らないですよね。そのとき、ネタに頼りすぎると書けないという事実に気づきました。

 

小学館から依頼を受けた新刊は、ずっとやりたかったユーラシア大陸横断旅行を書くことにしました。旅行としては楽しかったけど、オチにつながるようなトピックがない。仕事を引き受けたものの、小学館の人に「書けません……」と謝りました。そうしたら、「何なら書けそうですか?」と言われ、好きなシュノーケルなら書けるかもと思い、「シュノーケルなら」と伝えました。ところが、シュノーケルをしに行ったものの書けない……。たとえ書けたとしても、それを妻に見せると「面白くない」と言われる日々で……。自分は何を書いたらいいのかと行き詰まってしまいました。

――その状況は、どのように打開したのでしょうか?

あるときひらめいたのが、何かあったことを書くのは簡単だけど、何もないことをどう書くかということが必要なんだということです。誰も知らないこと、誰も行ってない場所なら、それ自体がネタになるから書けるんです。でもそれで書こうとすると、どんどん極端になって、紛争地帯に行くみたいな話になりがち。そんなハードな旅は僕にはできません。

 

誰でもできることをどう書けばいいのか。そういう風に書いている人はいないかと思い出したのが、内田百閒の『第一阿呆列車』でした。ただ電車に乗って大阪へ行って帰ってくる話が載っているのですが、昔読んだときはよくわからなくて放り投げていたんです。それを改めて読んでみたら、面白い。だけど、読み終わっても何が面白いかを覚えていない。それでもまた読みたいと思う。「こんな風に書けばいいんだ!」と思いましたね。

 

書いてあるのは「卵を食べた」「ビールがうまかった」「鞄が汚かった」とか、そんなことなんですよ。それでも読ませる秘訣はなんなのか。本を読み込み、ここでこうなっていると分析し、ひたすら線を引いていきました。なにかわからないけど、なにかわかったような気がしたんです。

 

一つ言えるのは、情報に頼らないこと。

 

たとえば、僕は巨大仏を巡る本も出しましたが、大仏を見てまわったら、通常はその歴史的背景に関する情報を載せますよね。でも僕は誰が造ったとか、どういう宗教的な意味があるかは興味がない。それよりかは、「なぜ巨大仏とビルが並んでいる風景に惹かれるのか」ということが気になる。その“違和感”について考えていると、いろんなことが思いつくんです。これは風景論が関係ありそうだと考え、関連する本を読み、その方面から巨大仏について書くことにしました。つまり、本当に自分の興味のあることだけを調べるんです。

 

いろんな情報を書くと何がテーマかわからなくなるので、自分が本当に知りたい情報以外は全部捨てる。そうすることで、誰でもできるネタ、誰でも知っているネタでも、自分のスタイルで書けるようになりました。

――それが宮田さんのエッセイに独特な“脱力文体”につながっている、と。

書き続けていける文体は見つけたけど、売れるかどうかはまた別の話なんですよね(苦笑)。どうやったらそれで売れるのか、いまだに悩んでいます。

――著書の中に独立5年目の時点で赤字とありました。軌道に乗ったのはいつからでしょうか。

黒字化までは10年かかっています。遅筆なのもあり、単行本は1年に1冊ぐらいしか書けていないので。あとはウェブ連載をいくつか。基本的に、収入源は原稿料と印税が99%で、書籍1冊の印税は60万円~100万円です。たまにテレビやラジオなどのメディア出演、講演があります。退職時の1,000万円の貯蓄にかなり生かされていましたね。

 

それと、僕の場合は旅行をネタにしているので、取材のための旅行費用がかさみます。旅行費用を出してくれる媒体もありますが、自分持ちのこともありますから。今は中学生の子どもが2人いるので、自腹で海外へはなかなか行けません。確実にネタになるものがあるとわからないと、ね。

お金だけ考えれば辞めない方が良かった、でも独立を選んだ人生の方がいい

――物を書いて生きていくのは、なかなか厳しい現実が待ち構えているのですね……。

それでも20年間食べてこられたのは、本当に運が良かったからだと思います。来年は仕事がないかもしれないとはいつも思っています。

 

以前、息子から「会社を辞めなければ良かったのに」って言われたことがあります。たしかに生涯年収で考えたら、会社員の方がはるかにいいですよね。今の年収は会社員時代の半分あるかどうかで、これが現実なんです。お金のことだけ考えたら辞めなかった方が良かったっていうのはあるんですけど、じゃあ今も「旅行がしたい」「好きなことを書きたい」と悩み続けているのとどっちがいいのだろうかと思うと、今の人生の方がずっといい。

――今後は、どういった仕事をしていきたいと考えていますか?

書くことを続けていくのはもちろんですが、最近はもっと人の役に立つようなことをしたいと思うようになりましたね。トークイベントで読者から「この本を読んで、気持ちが楽になりました」と言われるのもうれしいのですが、もっと直接的に誰かをバックアップできるような……。それがどんな仕事になるかはわかりませんが、そうしたこともできたらいいですね。

Interview
宮田珠己さん
宮田珠己さん

旅行やレジャーを中心にエッセイを執筆。関心のあるテーマは、変なカタチの海の生きもの、ジェットコースター、巨大仏、ベトナムの盆栽、迷路のような旅館、石など。Twitter ID:@John_Mandeville

Writer Profile
南澤悠佳
南澤悠佳
ノオト

有限会社ノオトに所属していた編集者、ライター。得意分野はマネー、経済。

Twitter ID:@haruharuka__

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