チョコレート専門の菓子職人「ショコラティエ」。ショコラティエとしてのキャリアを積もうと思えば、製菓学校に通い、有名店で修業して独立を目指すのが王道です。
現在、千葉県習志野市にある自宅兼工房・ショップ「燭楽亭」(Chocolatier、しょくらくてい)でチョコレートを手作り・販売している横田高明さんの場合は、ちょっとユニークです。
横田さんがショコラティエとしてのキャリアを踏み出したのは69歳の誕生日。もともとは東アジア地域経済研究をしていた大学教授でした。定年後、なぜチョコレート店を開業したのか。その理由を聞きました。
授業でフェアトレードの話をした際にチョコレートを取り上げたことが定年後を方向づけた
――横田さんがチョコレート作りに興味をもったきっかけには何があったのでしょう?
私が大学で教鞭をとっていたとき、私の学部・大学院ゼミには留学生が多く、たまたま「フェアトレード(※)について」議論することがありました。チョコレートはフェアトレードの重要性を説明するうえで、わかりやすい話題なんです。
――それはどうしてですか?
チョコレートの原料になるカカオは熱帯地域の産物で、多くは児童労働で生産され、安い価格でヨーロッパなどへ輸出されていきます。私のゼミ生にはカカオ生産国からの留学生もいましたが、彼らのなかには「チョコレートを食べたことがない」と話す人もいました。カカオをチョコレートに加工するにはヨーロッパ地域が適しています。なので、現地の人にとっては高価でなかなか食べる機会がないのです。
そこで、彼らに「自分たちでも将来、付加価値をつけたり、製品にしたりして輸出する」ことを教えたくて、まずはチョコレートを振る舞ったんです。私も大学進学のため上京し、初めてチョコレートを食べて感動した経験があります。学生の「あの実がこんなにおいしいチョコレートになるのか」と感動して食べている姿が、自分に重なりました。
※発展途上国で生産されたものが適正価格で継続的に取引される「公平な貿易」のこと
――授業でチョコレートを題材にされたことから、ショコラティエの道に踏み出すのは大きな方向転換ですよね。
定年退職を迎えるにあたって、思い切って違うことをやってみたいと思ったんです。私が育った田舎は、豆腐や味噌などをほとんど自給する生活が根付いていました。そうした文化に憧れもあって、これまで研究者として頭で考えることが多かったけど、職人のように手仕事で何かを作ってみたいと思いました。それを学生たちにも話したら、「じゃあチョコレートがいいんじゃないの?」っていうことになったんです。それがきっかけですね。
チョコ作りは独学。レシピメモは大学ノート3冊にもなった
――燭楽亭を始めるまでに、どのような準備をされたのでしょう?
チョコレート作りは、独学でほぼ本を読んで学びました。チョコレートの基礎的な作りや有名店のショコラティエがまとめた本まで、いろいろ読みました。あとは、チョコレートの作り方を教えている1日講習会に参加したこともあります。
最終的に、製法については自分なりに試行錯誤を繰り返しながら、大学ノートにまとめました。カカオマスやカカオバターなど主要原料については、試行錯誤の結果、価格は高いですがフランス産を使用しているものもあります。
――「燭楽亭」開業にかかった初期投資はどれくらいでしたか?
シニアの起業ですので、設備投資はできるだけ抑えようと思っていました。店舗を構えるのではなく自宅を活用しようと思ったのですが、保健所の許可を得るために、自宅の台所の3分の1を仕切って、チョコレートを作る場所を用意しました。初期投資は、工房改造費と空調設備費で289万円になりました。
チョコレート作りに使用する道具は、家庭で使用するものと同じようなものを購入しました。たとえば、チョコレートを溶かす鍋は大型スーパーマーケットで、チョコレートを流し込む型はベルギーやフランス製、パッケージ用品などは御徒町の道具街で買いました。当初の器具・道具類の合計金額は数万円程度だったと思います。
チョコレートは話題になるも採算は度外視
――開業されたのが2014年3月。以来、横田さんの経歴から「燭楽亭」=「はかせの手作りチョコレート」と評判になったそうですね。
厳選した材料を使って手間暇をかける。これにかけては自信があります。
たとえば、人気商品のオレンジピールのチョコレートは、オレンジの皮はフランス産のものを使っています。フランス産のオレンジピールって香り高くて本当においしいんです。
また、シロップ漬けのオレンジピールはそのままだとチョコレートが付かないので、カットして乾燥させます。このとき、乾燥機を使ってしまうと味が変わってしまうので、天日干しにこだわっています。
――使う材料を厳選したり、ロットが小さかったりすると原価も高くなりそうですね。
そう、当然原価は高くなって、大手メーカーの製品原価に比較すると3倍ほど違うかもしれません。とはいえ、値段も3倍というわけにはいきません。個人事業主のチョコレート職人として生計を立てるとすると、かなりの工夫と努力が必要です。
――売り上げは毎月いくらほどでしょうか?
光熱費などを差し引くと、収支はトントンとはならず、私の人件費までは出ません。……なんてことを聞いてしまうと個人事業主として、ショコラティエになりたいという人がいなくなりませんかね(苦笑)。
一つ補足しておくと、私は年金生活者ですから自由気ままに、できる範囲でやろうということで、あまり商売っ気を出していません。お店も不定休で、本日休業にして出かけることもしばしばあります。お客さまにはご迷惑をかけることもあり、「せっかく立ち寄ったのに閉まっていました」って言われると申し訳ないなと思います。
――「できる範囲で」が長続きのコツでしょうか?
そうですね。無理せずに自由気ままであることは、シニア起業のポイントだと思います。私の場合、1日に何個作るということも決めているわけではなく、時間に余裕のあるときや大量注文が入ったときなどに作っています。
ただ、テレビで取り上げられたときに注文が殺到して、3日間徹夜状態の経験をしました。ブームは一時的なものです。こんなことを続けたら死んじゃうなと思って(苦笑)。3カ月待ちでもいいのであればお受けしますってことで乗り越えました。これで生計を立てようとしたら、長続きしませんね。
「おいしい」の言葉が続ける励みになる
――お一人ですべての工程を手間暇かけて作るとなると、大変ですよね。
チョコレート作りは、温度と湿度管理が大切です。少しのタイミングの違いで、ブルーム化して味が変わってしまいますから。実は、意外とそれまでの経験が役立っているなと感じることがあります。どの温度だとチョコレートがうまく溶けるのか、カカオとカカオバターの配合はどうしようかなど、細かくデータをとっているのですが、これは研究に近いなと思いますね。
――最後に、これからの目標を教えてください。
大変なこともありますが、おいしいと言ってくれる人がいることは、やりがいになります。最近は、学生さんや若い起業家の方がチョコレート作りの話を聞かせてほしいと、足を運んでくれることも。そうしたことが続けていく励みになります。
だからこそ、今後ともできるだけ楽しみながら、おいしい本物のチョコレートを作っていきたいと思っています。いま販売しているチョコレートは10種類ほどありますが、若い人たちともコラボしながら新しい味にも挑戦していきたい。いろいろ試行錯誤をしながら、さらにおいしいチョコレートに仕上げていこうと思っています。ただし、頑張りすぎずゆるく続けていくスタンスはそのままでしょうが(笑)。