
宗教や宗派を超えた体験型ワークショップや音楽ライブ、トークイベントなどを行う寺社フェス「向源(こうげん)」。その代表を務めるのが、東京・品川にある常行寺の副住職・友光雅臣(ともみつ・まさおみ)さんです。個人事業主としてDJ活動やイベント支援なども行っています。
僧侶としての活動や向源を立ち上げた経緯、個人事業主としてもさまざまな活動を行う理由などを友光さんに伺いました。
仏教は今を生きる人に「生き方」を教えてくれる
――まず僧侶としての活動について教えてください。
一般的に、僧侶はお葬式やお通夜、法事などの儀式のほか、本堂の掃除やお塔婆(おとうば・故人や先祖の供養のために立てられる細長い板)の用意、檀家さんへの法事のお知らせ、会計処理などを行っています。
常行寺は住職と副住職がいるので、これらの法務を分担して行っています。ただ、僕は外部との仕事が多いので、お寺に勤めているのは週4日程度です。
――どのような経緯で常行寺の副住職になったのでしょうか?
私自身は一般家庭の生まれなので、お寺とは接点がありませんでした。ただ、現在の妻が常行寺の娘さんで、高校生の頃からずっとお付き合いしていたんです。大学4年生の就職活動の時期に、お義母さんから「お寺に入らない?」とお誘いいただきました。
当時から音楽が大好きでDJ以外にやりたいことがなかったし、自分が僧侶になるなんて全く思っていませんでした。でも、僧侶になる=娘さんとの結婚を意味していたので、お義母さんにも相当の決心があったはず。そこまで信頼してくれているのなら、とにかくやってみようと思いました。
それで仏教を学べる大正大学に入り直し、天台宗の総本山・比叡山延暦寺での修行を経て、常行寺の僧侶となりました。
――その過程で仏教に対するイメージは変わりましたか?
はい。それまで仏教は死者を弔うためのものだと思っていましたが、今を生きている人に対して「生き方」を伝えるものでもあるんだな、と。信仰さえすれば仏さまが救ってくれるといったものではなく、それぞれが抱える悩みや不安との向き合い方を説く、哲学的な教えなんです。
一方でお寺に入ってみると、檀家さんはご年配の方が大半でした。20代の僧侶が80代のご老人に「生き方」を教えるのはどこか違うというか、むしろ教わる側じゃないかと思ったんです。もっと若い世代に仏教を役立ててもらうために何かできないかと、僧侶になって2年くらいはモヤモヤしていましたね。
東日本大震災をきっかけに開催した寺社フェス「向源」。かつては200万円の赤字も
――そのモヤモヤが寺社フェス「向源」につながる、と。
そうですね。向源が始まったのは2011年9月、東日本大震災の約半年後です。その当時、日本中に「これから自分はどうすればいいんだ」という不安が広がっていました。だから、震災を受けて今を生きている人が、まずは自分自身と向き合って、落ち着ける場として向源を開催しました。
――「源と向き合う」をテーマに掲げる向源では、さまざまな修行や伝統文化の本質に触れるワークショップを行っています。どうしてこのような形式を取っているのでしょうか?
最初に向源を開催したときに、「坐禅をしてみたい」「精進料理を食べてみたい」といったご要望をいただいたことがきっかけです。とはいえ自分にはまだ満足な指導はできないので、各分野の専門家にワークショップを依頼することにしたんです。それがさまざまな修行や文化を体験する、現在の向源の形となりました。
でも、どの専門家も口を揃えて「伝統の素晴らしさに気付いてほしいのではなく、伝統を通して自分の素晴らしさに気付いてほしい」と話すんです。華道が素晴らしいのは、花が美しいからでもあるけれど、花を生けるその人が美しいからなんだ、と僕は感じました。
――それぞれの伝統の本質を通して、自分自身と向き合えるイベントなんですね。実際に向源を始めてみて、周囲からどんな反応がありましたか?
「新しい取り組みで面白いね」と賛同してくれる人もいれば、「フェスなんてふざけている」「仏教が誤解されてしまう」と反対する人もいました。ただどれだけ風当たりが強いときでも、半分以上は賛同してくれていましたね。
ネガティブな印象を持つ人は、向源に来たことがない人が大半なんですよ。向源はフェスという体以外は変なことは何もしていないので、実際に来てもらえるとしっかりデザインされていると気付きます。最初の頃は批判を受けるたびに、その人に会いに行って誤解を解いていました。
心から思ったことを表現すればするほど、次の仕事に結びつく
――友光さんは常行寺の副住職や向源の代表のほか、個人事業主としても活躍されています。その仕事の内容を教えていただけますか?
大きく分けて3つあります。1つ目はDJとしての活動で、飲食店のBGM制作やフェスやパーティー、フィットネスプログラムといったイベントでのプレイなどを行っています。
2つ目は、イベントの支援。これまで向源を開催してきた中で培ったノウハウを生かして、イベントやフェスの運営やコンセプト作りのアドバイスをしています。
3つ目は、若手経営者向けの坐禅指導。若手経営者の中には仕事の悩みを誰にも相談できず、孤立してしまう人も少なくありません。そうした人に向けて坐禅会を開き、心を落ち着けるサポートをしています。

写真提供/友光さん
――これらの仕事を始めたきっかけは何でしょうか?
個人的に行っていた坐禅会やフェスイベントで出会った人たちから、お話をいただいたことがきっかけです。そもそも個人事業主としてお金を稼ぐつもりはなくて、自分が持っているスキルやノウハウを使ってもらえたら面白いなと思っていて。
――仕事を選ぶ基準はありますか?
「自分自身が楽しくて、情熱を注げるか」ということは意識していて、ひとまずやってみてそう感じなければ続けません。
仕事ってクライアントさえ納得してくれたら、自分は満足していなくてもこなせてしまう面もありますよね。でも、それに慣れてしまうと徐々にアウトプットの質が下がってしまうんです。逆に言えば、本当に心から思ったことを表現すればするほど、アウトプットのクオリティも上がるので、次の仕事にも繋がりやすくなります。
向源での失敗を通して、自分自身を見つめ直せた
――向源の代表や個人事業主として活動をしていく中で、本業の僧侶としての活動に影響はありましたか?
ありましたね。これまでは普段の自分と僧侶の自分との間に、大きな乖離を感じていました。それこそ、DJをしている自分は心を開けているのに、袈裟を着ている自分はそうじゃなかった。でも、ここ数年で僧侶の自分でも心を開けるようになって、その乖離が無くなってきました。
――それは何がきっかけでしょうか?
最も大きなきっかけは、2016年の向源の失敗です。日本橋・神田明神・増上寺の3会場を借りて過去最大規模の向源を開催して、来場者数は1万5000人で興行としては成功だったのですが、200万円の赤字を出してしまったんですよね。
それまでは「2020年までに200万人を集める」といった明確な目標を掲げ、そこに向かってずっと進んできました。でも、いつからか集客や規模のことばかり考えていて、「源に向き合う」という本質を蔑ろにしていたことに気付いたら、自分自身が何をやりたいのか全く分からなくなった。
その一方で、周りのスタッフからは「これから向源はどんなビジョンでやるのか?」と説明を求められるんです。でも、考えても見つからなかったので、「ビジョンはないけど、なくしたくないので次も開催します。それでもやりたい人は来てください」と思ったことを素直に言いました。
――チームメンバーに対して、「ビジョンがない」とはっきり言うのは勇気がいりますよね。
はい。でも、8割のスタッフがそのまま残ってくれたんです。そのときから大きなことを言わなくたって、みんな受け止めてくれるんだと段々分かってきて。徐々に自分が思うことを素直に吐き出せるようになっていきました。
――友光さん自身も向源を通して、自分と向き合えたんですね。
そうですね。それに自己開示をすればするほど、相手も素直に心を開いてくれるから、どんどん相手の素晴らしさが見えてくるんです。向源の運営でもスタッフの素晴らしさを信じているので、「ああしろ、こうしろ」とわざわざ言わないですね。
2020年のオリンピック・パラリンピックで、“極楽浄土”を作りたい
――これから僧侶を志す人や僧侶として何かしていきたいと思っている人に向けて、伝えたいことはありますか?
自分の感性だけには、素直であってほしいです。そこに嘘をつき始めると、他人が言っていることに従おうとしてしまうので。それこそ「自分はやりたいことがない」と悩む人が多いのも、いろんな人から「やりたいことをやろう」って言われているからですよね。実際、やりたいことをやるのはとても難しいことなので、やりたいことがないからといって焦る必要はありません。
また、もし何かやりたいなら誰かのためとか置いておいて、自分がそれをやっていて幸せだと感じられるものにしましょう。結局自分を楽しませることができるのは自分しかいないですし、その楽しそうな姿を見て、惹きつけられる人も多いので。
――最後に今後の展望を教えてください。
2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、日本のコンテンツをいかに消費してもらうかが議論されています。でも、一番魅力的なものって日本のコンテンツではなくて、オリンピック・パラリンピックを観戦するために世界中から集まっている人だと思うんです。
だから、世界中から集まっている“ライバル”同士を繋げて、「一人ひとりがみんな素晴らしいんですよ」と認め合う場を向源で作りたいなと。もしそれが実現したら、なんてオリンピック精神溢れる国なんだろうって思うし、今ここにみんなが望む“極楽浄土”を作れたと思うでしょうね。