わずか5坪の「食堂とだか」が1年経たずに要予約の人気店に、そして増床に至ったワケ【前編】

2015年9月、雑然とした場末感ただよう飲食街の地下1階にオープンした和食店「食堂とだか」。たった5坪、8席しかない小さな居酒屋ながら、わずか半年で予約がないと入れない人気店に成長した。さらに2016年7月、「ふらっと立ち寄ってくれるお客さんのための店を作りたい」との思いから、出店リスクを取って同じフロアに2号店「立呑み とだか」の開店に踏み切った。ここまで短期間で店が成長したのには、どんな秘密があるのか。店主の戸高雄平さんに話を伺った。

高校時代に食べた一品がその後の人生を決定づけた

――戸高さんが料理人を目指したきっかけを教えてください。

高校生のときに先輩に連れてってもらった店で茶碗蒸しを食べたんだけど、めっちゃおいしくて感動したんだよね。「俺もこういうの作れるようになりたい!」って。まぁ、今もあの味は作れないけど(笑)。

――ということは、高校卒業後に飲食の道へ?

いや、ITの専門学校(以下、専門)へ行ってプログラミングの勉強をしてたの。親に「料理はダメ」って言われて。専門は3年間通ったんだけど、その間はずっと地元の鹿児島で10店舗近く展開している居酒屋でバイトをしてた。専門を卒業して、そのままそこに就職したの。

――専門卒業時は親の反対もなく?

たぶん、親には「料理は……」っていう気持ちがあったと思うけど、もう反対はしなかったね。うちの実家は建築関係の自営業なんだけど、最終的には「好きなことだから、しょうがないんじゃない」って。継ぐか自分の好きなことをやるかってなったけど、自分の好きなことをやりなさいって。

晴れて飲食の道へ、上京そして独立まで

――就職した店では、どのくらい働いたのでしょうか?

バイトのときも含めたら、18歳から9年ほど働いていたかな。就職して2年くらいで店長になって。そしてちょうどそのころ、会社が30年続いていたとある飲食店を買い取る話が出てたの。そこで俺がその店に入って修行して、半年後に予定どおり会社が店を買い取ってそのまま店長になったんだけど、売り上げが激減したんだよね(笑)。当たり前といえば当たり前で、飲食店って料理はもちろんだけど、人の魅力も大事だからさ。店の大将とは一緒に働いていたし、レシピももらってたから料理の味は身に付けられたけど、その人の魅力までは引き継げるわけじゃないから。

――そこで経験を積み、鹿児島から上京したのですね。

東京に来たのは、いろいろ理由があるけど、1つは嫁さん(当時は彼女)が東京へ行くって言ったのが大きいね。

 

料理をしていると、自分で器も作りたくなるんだよね。それで陶芸教室へ通ったら、「あれれ、いい人いたぞ」みたいな(笑)。東京に来る1年くらい前だったから、僕が26歳のころかな。嫁さんが東京へ行くのに合わせて会社を辞めて、家は嫁さんのところに行くつもりだったから、職場だけ決めて。鹿児島を出て外の世界も見たかったし。

――東京でも和食店へ?

せっかく東京で働くなら、ミシュランで認められているような一流の和食店で働きたいと思ったの。ただ、和食店は労働時間が本当に長くて、もう朝から朝まで……。1年くらい働いたけど子どもが生まれて、子どもがいるのにその生活を続けるのはつらいと思って独立を決心したの。もともと30歳までには独立したいと思っていたし、結婚前から嫁さんにはその話をしていたからね。東京の和食店を辞めたのは2015年の5月だから、そこから物件を探して、遊んだり勉強したりしながら準備を進めてたって感じかな。

――お子さんがいる方が、生活のために独立しづらいのかと思っていました。

料理人をずっとやってると、自分の「こうしたい」って思いが強くなるんだよね。でも、雇われの状態だと、細かいところまでは形にできない。たとえば、料理は決められても、それに合う器は自分で変えられないから、既存の器を使わないといけない。接客のスタイルやお店の雰囲気だって、働いているみんなで決めないといけない。そこで自分の思いをぶつけても、摩擦が生じてうまくいかないよね。

 

自分もそうだけど、料理人はみんな個性が強いからね。働いていると、やっぱりいい意味でも悪い意味でもぶつかるわけ。子どもが生まれたのは、自分の理想を実現するにはいいタイミングだったのかなって。

限られた予算の中、無借金での開店を実現

――開業資金はどのくらい準備されたのでしょうか?

働きながらずっと貯金してたけど、300万円しかなかったの。正直、独立しても失敗するかもしれないし、失敗したらやめようと考えてた。家族には迷惑をかけたくなかったから、今ある貯金でまかなえるよう借金をせず、一人で店を回せる規模のところにしようとは決めて。ただ、これまでの経験から、飲食店は家賃と人件費を抑えればなんとかなるっていうのは実感としてあったんだよね。

 

最終的に、「食堂とだか」は物件取得費や工事費など、全部含めて250万円くらい。広さは5坪しかないけど、飲食店の初期費用の総額としてはかなり安い方じゃないかな。もともとこの物件に冷蔵庫やガスが置いてあって、内装も自分で作ったから。

――内装をご自身で手掛けられるってすごいですね。

前職が新店をいくつか立ち上げていて、そのメンバーとして関わっていたの。店舗設計も自分たちでやる店だったから、内装も自分たちでって感じだったんだよね。だから、オープン時にあまりお金をかけないっていうのは頭にあった。大工さんも会社にいたから、人手が足りないときや休みの日は調理スタッフも大工仕事をして。

 

料理人だから料理をできるのは当然だけど、内装を手掛けたりする経験があったのは大きいよね。料理だけじゃない経験があるから、今の店を一般的には少ない予算の中でも仕上げられたし。

満を持してオープン! しかし、お客さんが来ない……

――自分の店を持つにあたって、こだわったことは?

やっぱりどこで個性を出すかはずっと考えてたね。鹿児島にいる時代から東京の流行りの飲食店は見に来ていたし、自分も店長を経験したから体感していたけど、人気の店には必ず人気になる理由がある。それはオーナーかもしれないし、その店にイチオシの料理があるからかもしれないし、お酒がおいしいからかもしれない。そういった光るものを何にするかは、すごく考えた。

 

でも、自分が「いい」と思っても、それがお客さんの心に刺さるかは分からない。とりあえずいろいろやってみて、心に引っかかったモノを残していこうって考えてたね。お客さんは一人ひとり好きなものが違って、どこに引っかかるか分からないから、なるべく入り口を広げようと思って。

――研究を重ねていたのですね。

飲食の基本だよね。いろんな店を食べ歩いたし、本も見た。そこで自分なりにこうしたら食べたいって思ってくれるんじゃないかとか、こういうことをしたいっていうのを料理ノートにメモしていって。

 

それと、一人でお店を回すには食材を広げすぎてもダメなの。限られた食材で品数を作っていくのも重要な考え方だよね。だから、あるメニューでメインとして使われているものが、別のメニューではサブとして使われる。

 

そんな感じでお店をオープンしたけど、最初は本当に誰も来ないの! 同じビルに入っているスナックのママたちが来てくれてそれに助けられたけど、それだけじゃね……。

 

――当初は閑古鳥が鳴くような状況だったという「食堂とだか」。そこからどのようにして繁盛店へとなったのか。後編はコチラです。

Interview
戸高雄平さん
戸高雄平さん

1984年生まれ。「食堂とだか」「立ち呑みとだか」の店主。地元鹿児島の居酒屋チェーン、東京の和食店を経て独立。
▼食堂とだか
https://www.facebook.com/wasse.umaka
https://yoyaku.toreta.in/todaka/#/

Writer Profile
南澤悠佳
南澤悠佳
ノオト

有限会社ノオトに所属していた編集者、ライター。得意分野はマネー、経済。

Twitter ID:@haruharuka__

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